#8 (2018.11.11) Presenters.
坂元 勇仁
Yujin Sakamoto
(レコーディング・ディレクター、
大阪芸術大学客員教授、東京音楽大学特任講師)
【ぼくは本当に
ディレクターなんだろうか?】
中学3年になる春休み、野球の練習で足を骨折してから半強制的に始めたコーラス。それが僕の人生の分岐点だった。それからなんだか導かれるままに今日までやってきたが、最近思うのは「はて、僕は本当にディレクターなんだろうか? そう名乗る資格があるのだろうか??」ということ。コーラスを趣味でやっていただけなのに、音楽の専門教育も受けず、たいした能力もない僕が30年近く音楽制作の現場にいられたのはどうしてだろう。もし、何か自分ではわからないチカラがあったとしたらそれは何だろうか?-そんなことを話せたらいいな。
飯田 有抄
Arisa Iida
(クラシック音楽ファシリテーター)
【端唄と間(あいだ)】
趣味で始めた三味線、端唄。
気づけば唄い続けて10年が経ちました。
幼少期に出会った楽器はピアノ。
ドレミの世界にどっぷり浸かってきた私が、
端唄の世界に飛び込んでみたことで、
わかったこと、
見つけたことを、
「間(あいだ)」という言葉をキーワードに
お話したいと思います。
木許 裕介
Yusuke Kimoto
(指揮者、日本ヴィラ=ロボス協会会長、
慶應義塾大学SFC研究所上席所員)
【「欲する」気持ちの鍛えかた
〜 指揮、表現と伝達の芸術を
めぐって〜】
たぶん多くの人がそう思っているように、指揮という芸術は何だか良く分からないものです。
自ら音を出すことのない音楽家。一本の細い棒だけを持って大勢の演奏者の前に立つ存在。そこで指揮者は何をしているのか、そして何を成しうるのでしょうか。
私なりに思うのは、指揮とは表現と伝達の芸術であり、同時に「欲する」ということに強く根ざした行為だということです。今回は、指揮という芸術を簡単にご紹介しながら、「欲する」という気持ちをいかに鍛えるかについてお話ししたいと思います。
AYANO
Ayano
(衣装デザイナー)
【衣装から見たオペラの世界】
学生時代に声楽を学んで感じた事は、オペラには勉強をして初めてわかる楽しさがあるな、ということでした。
"オペラ=高尚なもの"という感覚は、普段クラシック音楽を聞かない層に対して根強く残っているように思います。
理解すること、勉強することの楽しさをどうしたら聴衆と共有できるのか。お客様と演奏家を繋ぐ架け橋としての役割を持つアートマネジメントを学び、企画を考えるうちに思い立ったのが、「衣装」という魅せる手段のひとつでした。
デザインから本番を迎えるまでの過程や、衣装から見るオペラの世界について、お話したいと思います。
河野 陽介
Yosuke Kawano
(声楽家)
【「おっさんレンタル」から考える
シェアリングエコノミー】
おっさんレンタル。
それは、
「1時間1000円」という枠の中に広がる
人智を超えた無限の可能性。
それは、
無数の人々とのささやかな邂逅。
それは、
愛と慈しみと、涙。
愚痴や、ぼやきや、
思い煩いの積み重なるその先に、
見えてくる世界がきっとある。
失敗も成功も、
すべてコンテンツにして
今日もあなたのニーズとマッチング。
前田 和宏
Kazuhiro Maeda
(団体職員)
【俳句に音をつける遊びについて】
1年と少し前くらいから「俳句に音をつける」ということをやっています。私自身は俳句を詠まないので、有名な俳人の句集をぺらぺらとめくりながら、ピアノの前に座って、ことばにぴったりくる音を探ります。生きている芸術家というのはコワいので、すでに物故した人の句に音をつけるのが専らですが、俳人の友達に促されて彼の句に音を足したこともあります。
ある音楽学者によれば、俳句に音楽をつけた曲というのは、世界中に700曲もあるそうです。音のつけ方に正解はなく、おそらくは700通りの方法があるのでしょう。私にも方法があります。季語/575/切れ字に関する3つのルールを設けて、その枠内で自由作曲しています。ルールがないと、「遊び」が生まれない気がするからです。
(勝手に設けた)自分ルールへのこだわりと、少しばかり高濱虚子とシェーンベルクの繋がりについて……あるいは夕方静かな時間に、譜面台に句集を置いてピアノに触れる余りにもラブリーな時間について、お話させていただければと思います。
#7 (2018.05.27) Presenters.
西本 夏生
Natsuki Nishimoto
(ピアニスト)
【ピアノってこわくないよ。
〜きみはきみのままでいい!〜】
なぜか、ピアノに関してトラウマを抱えちゃった人にいっぱい出会う運命の私。
だけどそれと同じくらいの数、幸せに生きているピアノ弾きにもたくさん出会ってきました。
かく言う私はというと、もちろん紆余曲折歩んできたけれど、きっと、とても幸せに生きている方の一人。
そんな私が、長年ピアノと接しながらやってきた中で今思う「ピアノと幸せに生きて行く」方法を、モチベーションを中心とした心理学的アプローチや、実例などを交えてお話したいと思っています。
藤井 佳依
Kai Fujii
(コンサートホール職員)
【インクルーシブ
〜すべての人々に
開かれた劇場〜】
2年前に、アメリカの研修先で"インクルーシブ”という言葉に初めて出会いました。この言葉は、普段当然のこととして受け入れている考えを見直し、多様な価値観を改めて認識するきっかけを与えてくれるものでした。コンサートホールに勤める私は、この概念が劇場やコンサートホール・オーケストラにも応用できるのではないだろうかと考えました。
果たしてすべての人に開かれた、インクルーシブな劇場・コンサートホールやオーケストラとは?どのようにこれを実現できるのだろうか?その先にあるものは?これらのお話をさせていただき、皆さまと共有できたらと思っています。
松本 京子
Kyoko Matsumoto
(音楽事務所・大学教員/
NPO法人アサーティブジャパン会員トレーナー)
【「アート」と「マネジメント」を
つなぐもの? 〜アサーティブ
コミュニケーションの扉を開けて】
音楽のあるところ、人あり。
オペラやミュージカル、オーケストラに室内楽、そしてリサイタル。
アウトリーチやワークショップetc.
―つくり手、聴き手、つなぎ手―
そこに関わるのは、立場、職種、バックグラウンドも実に多様な人々です。
気が付けば20年、「つなぎ手」として「アートマネジメント」と呼ばれるらしい業務に携わってきました。
さて、アーツの専門知識と、経営、マーケティングあるいは文化行政などへの視座と実務スキルがあれば『スーパー・アートマネージャー』(造語)の道は開けるのでしょうか? どうもそうではないような(自分比)。
人対人、人人人!!
「アートマネジメント」の場は、内でも外でも、調整調整、また調整。
議論、相談、依頼に決断。調整調整また調整(以下リピート)。
自分も相手も尊重し、自分の伝えたいことを「言えずに飲み込む」のでもなく「一方的に強く主張する」のでもない、自他尊重のコミュニケーションー「アサーティブ」。
「本当に伝えたい」ことを相手に「伝わる」ように「伝える」「伝え方」。
これはまさに、音楽家が自身の身体や楽器、作品をとおして一生涯にわたり追求する命題ではないでしょうか。
そして「アートマネジメント」の土俵で「つなぎ手」の道を歩く上で、杖の一つになるかもしれません。
井坂 仁志
Hitoshi Isaka
(ファイナンシャルプランナー)
【家計簿のススメ?】
「家計簿」をつけようと一念発起して途中でやめてしまったという経験をされた方は少なからずいらっしゃると思います。一方で、自分できっちりとお金の管理をしている方もいらっしゃいます。
これは私たちに限ったことでなく、過去の大作曲家も同じでした。二人の偉大なマエストロたちの事例をご紹介し、彼らの生き様をリアルに感じていただきたいと思います。
そして私たちは、「人生100年時代」を迎えようとしています。ファイナンシャル・プランナーの立場として「家計簿」という入口から、私たちにこれからどんな未来が待っているのか、そのためにはどう準備したらいいのかということに意識を向けていただくことで、一人でも多くの人々に末永く音楽を愛し、豊かな人生を送っていただければ幸いです。
山元 香那子
Kanako Yamamoto
(ピアニスト)
【音楽の力】
“杖をついてコンサートに来られたお客様が終演後には杖を忘れてお帰りになられた”
コンサートで実際にあった魔法のようなエピソードです。たくさんの笑顔、元気に帰られるお客様。音楽の力を目の当たりにする瞬間です。
現在私はBS日テレ“日本こころの歌”のレギュラー出演中の「フォレスタ」というコーラスグループにピアニストとして所属しています。このグループのメンバーはみな音大卒業生。テレビ・ラジオ出演などのほか、年間100本に及ぶコンサートに出演し、全国各地で10万人を超えるお客様と時間を共にしています。
そうした音楽活動を進めるなかで、私の中で芽生えた想いは大きく2つ。
・病院や老人ホーム等コンサートにお越し になれない方に音楽を届けたい。
・若手演奏家の活躍の場を増やしたい。
理想は音楽溢れる街、音楽が繋ぐ人間と人間の結びつき、かけがえのない時間。
演奏家としてそうした場づくりを積極的に行いたいと試行錯誤しているのですが、そこには立ちはだかる壁が……。
わたし自身の経験をもとに、演奏者の視点からお話しさせていただきます。
實方 康介
Kosuke Jitsukata
(団体職員)
【音楽で「世界平和」を目指す
私の仕事】
「あなたが仕事をする理由は?」という問いは「あなたは何のために生きているのですか?」という問いと等しいようにも思え、答えるのに精神力が必要です。
抽象度が高くても許されるなら、私は、ちょっと恥じらいながら、しかし本気で「世界平和を目指しています」と応えることにしています。
では音楽の仕事がどのように世界平和に貢献し得るのか。
「ピティナ・ピアノ曲事典」を編集する仕事の中で日々思うことをお話したいと思います。
MC.
飯田有抄
#6 (2017.11.26) Presenters.
春畑 セロリ
Celeri Haruhata
(作曲家)
【言葉で右脳にタッチする
〜タイトルが先か、曲が先か】
世の中の作曲家のみなさんは、それぞれ「作曲の手順」というものをお持ちだと思います。最初に厳格な構想を書きとめたり、まず魅力的な旋律を思い浮かべたり、あるいは何より先に綿密な日程表を作ったり……!
いや、その前に、曲を書くという行為に突入するモチベーションが必要ですね。やむにやまれぬ創作意欲だったり、社会貢献的意義に突き動かされたり、一旗あげてやろうという野望だったり、高額のギャラにホクホクしたり、頼まれたので不承不承だったり、単なるウケ狙いだったり。
で、……私の場合はどうなのでしょう。
作品に、「ショコラティエ協会の朝」だとか「たすけて!ショーユマン」だとか「顔の大きなドンクー大佐」だとか、全体的になんじゃソレというタイトルが多い私の場合は、正直いって、曲の《タイトル》が作曲のモチベーションや手順に大きく関わっていることは否めません。
実際、このプレゼンをお聞きいただいても、スマートに作曲ができるようになるわけでもなく、貴重な創作ウラ話でもなく、目の覚めるような脳科学の話でもなく、ほぼ何の役にも立ちそうもありませんが、日曜日のひととき、音楽がらみの無駄話にお付き合いいただければ幸いです。
内藤 晃
Akira Naito
(指揮者・ピアニスト)
【作曲家の美意識を知る】
演奏家は俳優のようなもので、演奏する作品内容(シナリオ)や作曲家(人物)に応じて役づくりをします。どんな音色やスタイル(声音、言葉遣い、キャラクター)で演じるか。作曲家本人による日記や書簡、身近な人たちによる回想録、弟子や孫弟子など直系の演奏家による録音、など、役づくりのヒントとなり得る資料は沢山あり、そこから作曲家がどんな音楽を志したかという美意識を知るわけです。
今回は、その中でも、音源資料をどのように役づくりに活用するか、ディープな世界の一端をちょこっとお見せします。
木下 淳
Jun Kinoshita
(アマチュアピアニスト)
【幸せになるためのピアノ
〜ワルシャワでの
経験をふまえて〜】
50年近くアマチュアとしてピアノを楽しんできた私は、ワルシャワで開催された「アマチュアピアニストのためのショパン国際コンクール」に二度トライしました。当初その結果には十分満足できなかったのですが、以後いろいろと考えていくうちに自分の演奏を他人と比較せず過去の自分とだけ比較して自らの成長を実感しながらピアノを弾くことの大切さ、そしてそれが自分自身の幸せにつながっていくことを次第に確信してきました。
今回のプレゼンではなぜそのように考えるようになったのか、その経緯や理由についてお話ししたいと思います。「自分とピアノの関係」さらには生き方そのものについて見つめ直す機会になれば幸いです。
虎谷 理乃
Rino Toratani
(リトミック講師・ピアニスト)
【心を豊かにする
参加型コンサート】
子どもの頃、習い事としてやっていたピアノに窮屈さを感じ嫌になってしまったことはありませんか。
間近で生の音楽が聴ける小さな空間でのライブやコンサートに行った時、音楽は素晴らしいのにも関わらず演奏者と心の距離を感じてしまうことはありませんか。
私が今回のテーマである「参加型コンサート」を始めたのは、音楽大学に進学するときに漠然と考えていた、「音楽を通して心を豊かにし、社会の役に立つ」という目標に端を発しています。
参加型コンサートとは通常のコンサートと違い、演奏者と聴き手、お互いがコミュニケーションを図り、一緒に音楽に参加してもらうコンサートのことです。
私はこれまでのリトミック講師の経験をもとに、音楽に対して時々感じてしまう窮屈さや心の距離をなくす手段として、参加型コンサートに取り組んできました。
リトミックや音楽療法、ピアノヨガといった私のこれまでの活動を交えつつ、私の目標である音楽を通して心を豊かにするコンサートについてお話させていただきます。
本間 ちひろ
Chihiro Honma
(絵本作家)
【気持ちを表現するお手伝い
〜ある絵本作家のとりくみ】
詩画展や、自分の絵本を見て頂いたりすると、よく、「いいわね、私は絵がかけないから、詩なんてかけないから…」と言われます。お世辞かな?と思っていたのですが、あまりに度々なので、もしかしたら本当にそう思っていらっしゃるのかしら、と思うようになりました。そして、「表現する」ということを、ぐるぐると考えるようになりました。
そこで、「表現をするお手伝い」がしたいと思い、本を作ったり、「気持ちおえかきワークショップ」などをはじめました。すると、若い頃(?)は、自分だからこその表現を、深く、広くと、探求していましたが、いまでは、「表現」って特別なことではなくて、とても自然なことだと、私自身こそ、しっかりと思えるようになりました。鳥が春の喜びを歌っていると、絵も詩も、こういうことだね、一緒だね、と感じます。表現って、じつはとても、自然なことなんじゃないかなぁ、と。(あ、でも、探求も大事ですよね)
今回は、「表現のお手伝い」として、取り組んできたこと、感じてきたことをお話したいと思います。楽譜集の表紙の絵の仕事なども、演奏する方々の「表現のお手伝い」として、幸せな気持ちで取り組んできたので、ご紹介させていただけたら。
とても、楽しみにしています。
福田 成康
Seiko Fukuda
(経営者)
【お金の視点で教育を考える】
「教育」には主体があります。
義務教育の主体は国家、習い事の主体は保護者です。
法律とお金の支払い元を見れば明らかです。
公立の小中学校の授業料は無料、全て税金で
賄われますが、カリキュラムは国で決められ
教科書の内容まで国の検定を経たものが
使われるのです。
日本の小学生の90%が通っている「習い事」は、
親と子供の意思に従い、ピアノ、スイミング、英語、
バレエ、サッカー、書道、空手、そろばん、・・
何をどれだけやるのかも自由です。
グローバル化とは、個人が国家の枠組みに
関わらず生きることです。無国籍の通貨
ビットコインも登場し、英語は概ね世界共通語に
なりつつあります。
この時代に保護者が選ぶ「習い事」こそが「民意」です。
親の意思を示す「習い事」は、遠くない将来、
国家における教育カリキュラムに影響を
与える時代が来るかもしれません。
現在、小学生の25%が習うピアノが
教育として支持を得続けることができるかは、
ピアノ教育業界の人たちの努力に掛かっています。
MC.
飯田有抄
#5 (2017.05.28) Presenters.
新井 鷗子
Ohko Arai
(音楽構成作家)
【クラシックコンサート構成術】
ここ30年ほどの間に日本のクラシック音楽界は大きく変わりました。クラシック音楽は教養として「お勉強」するものだった時代、クラシックは「親しみやすい」ものだとひたすら敷居を下げてファンを増やそうとした時代、クラシックとポップスの境界線にある「クラシカル・クロスオーバー」というジャンルが生まれた時代、そして現在はインターネットの普及によって、マニアはよりマニアックに、つまみ食い的なファンはいつまでもつまみ食いを楽しみ、一人にひとつずつ音楽の楽しみ方が存在する時代になりました。
ジャンルの分け隔てなくクラシック音楽を自由なスタイルで楽しむ人が増えてきてはいますが、それでもなお「クラシックはムズカシイ」というイメージが根強く残っています。もっと親しみやすく、もっとわかりやすくしなければならない、というクラシック業界特有の病を少しでも緩和するために、構成という仕事があるのです。美味しい音楽の数々を、最も美味しく感じられる量と、美味しく感じられる順番で出しながら、ちょっと体に悪い危険物も混ぜること。そんな構成の様々な方法を、成功例・失敗例それぞれ参照しながら皆さまに伝授します。
上田 泰史
Yasushi Ueda
(音楽学者、大学講師)
【19世紀と「いま」を結ぶ
~音楽史研究者の仕事】
僕は、大学で1、2世紀前の音楽について研究しています。でも、音楽ってその場限りのものですよね。エジソンが発明した録音技術より前に響いた音は、もうどこにもない。じゃあ音楽の歴史ってなんだ!どうやったら「過去の音楽」を語れるんだ!そもそも「音楽」ってなんだ!そんなことに日々向き合っています。
過去についての語り方は、時代の思想のモードに左右されます。ざっくり言うと、音楽史は大作曲家が動かしてきた、と考えていた時代には、バッハの作品や伝記が一斉に研究されました。でも、戦後、音楽が作曲家と社会の関係の中で捉えられるようになると、いや、大作曲家の「偉大さ」は社会や思想の構造が生み出した幻影なんだ、というモードが登場します。そうこうしているうちに、なんで演奏家がいないんだ、なんで音楽史は男ばかりなんだ、いや、ジェンダーを男と女で二分するなよ、などなど、異論が噴出してきました。こんなのが、20世紀という時代でした。
そんな時代の後に育った僕がしていることは、有名無名、男女の別を問わず、音楽家と作品についての新しい史料を読み解き、人と作品が、その当時の社会、思想の中でもった意味や機能を明らかにすることです。音楽、演奏、聴き手の関係の暗号を解き明かせば、現代の私たちが受け止められる音楽が、ぐんと増えるのです!こうやって、現代と19世紀とを結びなおし、音楽の「いま」を更新していく、そんなのが、僕の喜びです。
亀田 正俊
Masatoshi Kameda
(音楽出版社勤務)
【セヴラックと日本】
セヴラックをご存知ですか?
最近でこそ知られるようになってきましたが、ちょっと前まではまったくの無名。でもなぜか日本にはセヴラックを愛する人たちがいて、しかもみんないい人みたいです。
セヴラック(1872-1921)はフランスの作曲家です。同国の南西部、スペインとの国境にほど近いラングドック地方に生まれ、音楽の勉強のため故郷を離れてパリに学び、才能を開花させてオペラや歌曲、ピアノ曲の分野に美しい作品を残しました。ドビュッシーはその音楽を「とても素敵な香りがする」と評し、才能に惚れ込んだアルベニスやラヴェルらはセヴラックと友情を結びました。彼は三十代の働きざかりに都会を離れ、故郷に近いピレネー山麓の田舎町に隠遁し、1921年、その地で49年の生涯を終えています。
生前は高く評価されたセヴラックですが、没後、その名は忘れられました。パリを離れた影響もあったのでしょう。フランスでは今でも知らない方が多いそうです。しかし、遠く離れたこの日本では、セヴラックのCDや楽譜、書籍が出版され、音楽協会まで存在します。
「セヴラック ピアノ作品集」の編集者として、また日本セヴラック協会事務局としての立場から、セヴラックが日本でどのように受容されてきたかを少しお話しします。セヴラックを愛する人たちはなんとなく幸せそうです。セヴラックの音楽との接し方に秘密があるのかもしれません。
瀬川 裕美子
Yumiko Segawa
(ピアニスト)
【ピアノ・リサイタルの
新しい“あり方”を求めて
~時空を超えた知覚の旅へ~】
ピアノリサイタルを企画するときに、一番の要はプログラミング。どのような作品を選曲し、どのように配置すべきだろうか?アンテナを多方面にはりめぐらし、常に目指すのは音と共に、音楽家の為だけではなく、人間の生に関わる、1種の根源的なメッセージの提示です。
バッハからロマン派、近代、現代邦人委嘱作品に至るまで、作風、国柄を越え、宇宙にきらめく星々のように点在している個別の作品が、“詩的なコンセプト”のもとに集約され、相互に関わり、ポリフォニーが奏でられる可能性が膨らんで来たら、やっとリサイタルの形が決まってきます。
そこからは、とことん作品に踏み込んで、プログラムの根底に横たわる内的連関を編んでいく思考の場は、音符だけの世界に留まらず、多様な文化論まで引き寄せてくれます。前回のリサイタルでは、画家パウル・クレーの、音楽や自然からの絵画への単なる「置き換え」ではない、新しく生みだす「顕現」の技法、彼の哲学等が結集された『造形思考』が大きく関わりました。プログラムノートへのこだわりも、毎回必然となってきています。
そして、演奏。1音を放射する。会場全体に降り注がれる音の傘の下で、聴き手それぞれの聴取体験によって、新たに星座を形成して持ち帰ることのできる場所。根源的な音の発生源の正体、音・音楽が背負ってきた大きな歴史観を、クレーの『造形思考』から紐解きつつ、当日はリサイタルという1つの大きなマグマの成り立ちの一端をお見せできればと思っています。
春日 保人
Yasuto Kasuga
(声楽家、様々な笛を吹く者、
保育音楽研究者、他)
【二兎を追う者のススメ】
「あなたの専門は何ですか?」
演奏活動において質問される機会が多いこの言葉。「あなたは何がしたいの?」こう言われると「音楽です」と答える。するとポカンとした顔が帰ってくる。
音楽における専門性が芽生えたのは19世紀以降と言われる。それ以降、一つの分野に自分をおき、それを極めるために一意専心・一心不乱に練習に打ち込む日々が始まった。他の分野に手を出そうものなら、何を目移りしているとばかりに檄が飛ぶ。いや待て。それにより得るものは勿論ある。しかし、失うものはなんであろう。音楽で表現するために必要なことはテクニックのみではない。
二兎を追う者は、本当に一兎をも得ないのか。演奏家として、教育者として、「二兎を追う意義」について考えていきたいと思います。
(C) Norio Tashiro
長門裕幸
Hiroyuki Nagato
(レコード会社勤務)
【あなたの知らない
クラシック音楽配信の世界】
配信でクラシック聴く人なんてどんだけいるの?
というのは10年ちょっと前、現在の仕事に就く前に私自身が感じていたことです。
もちろんその後の劇的な環境変化によって、現在多くの方はクラシックを含めた様々な音楽を、様々なネットサービスを介して楽しんでいることでしょう。
しかし実際のところ、現在でもここ日本ではレコード産業(ほぼ死語)の売上の8割がCDほかパッケージ商品によるものですし、「どうせなら “モノ” に対価を支払いたい」といった価値観や、「便利であることと引き換えに質を落としていいのか」といった問題意識、あるいは「データファイルにはサインしてもらえないじゃん」といった購入動機まで含めて、音楽配信に対する「なんか乗れないんだよな感」を会話の端々に滲ませる音楽愛好家はまだまだ多くいらっしゃると感じています。
まだまだ、とは言ったものの、決してこの趨勢を逆転できるのが良い世の中だなんていう立場でお話しするわけではありません。
前述のようなやや否定的な空気感や、無料で利用可能な音楽関連サービスの隆盛といったビハインドの中で、「買ってもらえる配信コンテンツ」を提供するには……と悩み、企画し、実践し、だいたい失敗し、ときどき良い結果を得て気づいたことがいろいろあります。そしてその気づきのいくつかは必ずしも音楽配信のこと、それどころかビジネスのことではなかったりもします。
そんな経験をゆるくお話ししながら、みなさまの経験や感覚に照らして新しい気づきを得られる時間になればと考えています。
MC.
飯田有抄
MC.
飯田有抄
#4 (2016.11.13) Presenters.
白沢 達生
Tatsuo Shirosawa
(翻訳・ライター・プレゼンター)
【音楽のとなりで
〜週末料理番の提案】
音楽に関わる仕事をしている人は、何か強いモチベーションがあって音楽と携わっているのではないかと思います。だから、音楽関係者のあいだでは「よい音楽を求める」ということについて、貪欲であることが理想的……ということが、時として全く疑われません。よい音楽は高くつく、そういう判断も当たり前(やむを得ない)と思われているかも。
でも「よい音楽」って、そもそも何なのでしょう?
それは、誰にとって「よい音楽」なのでしょう?
世界はいろいろなものごとに満ちていて、その世界のなかから生まれた何か(音楽)のことを考えようとするとき、その何か(音楽)だけを見据えていると、それがどこにあるのか、どんなものだったのか、見えにくくなってしまう……では、少し対象から離れて、違う角度から眺めてみたら、どうなるでしょう?
その何かが「音楽」だと客観的にわかりにくくなりそうなので、ひとまず「欧州地方料理」にたとえて話をしてみたいと思います。
竹井 良
Ryo Takei
(モデル、音楽家)
【フォーカル・ジストニアを
受け入れる覚悟〜人より音楽を
遅く始めるということ】
12歳からピアノを始め、本気で音楽に向かいあったのは29歳。本職のモデル業のかたわら音楽活動を始め、コンサートに向けて勢力的に練習する日々を送っていました。6年前のある日、右手の中指が動きにくく感じました。人差し指も反り返り、うまく音階が弾けなくなり…… 診察を受けて知ったのは「フォーカル・ジストニア」という疾病。治るのか、治らないのか、何に効果があり、何が悪化を招くのか。この疾病をきっかけに、ピアノ以外にも仕事や人間関係など様々なことで思い悩む時代がありました。
フォーカル・ジストニアは、まだ完治の方法が見つかっていません。自分がピアノをスタートする時期に問題があったのではないか、そうであれば今の自分にはなにができるのか。葛藤する日々のなか、音楽に対して、身体の使い方に対して、少しずつ意識が変わり、多面的なものの捉え方ができるようになってきました。
ジストニア研究の第一人者、科学者古屋晋一先生のデータをご紹介しながら、ジストニアの問題と現状、そしてこの疾病を抱えた私の音楽とのつき合い方をお話したいと思います。
礒山 久理
Hisari Isoyama
(ピアニスト、ピアノ教師)
【駆け込み寺としてのピアノ教室
〜心の声をキャッチする】
ピアノ教師の仕事、それはピアノを指導し上達に導くことです。ならば先生はピアノを弾く方法だけをひたすら教えていればそれで良い?
いえいえ、レッスンの場はただ単にピアノを弾くことだけにとどまるものではありません。声を出して一緒に歌い、先生が生徒の手をとって指の使い方を教え、又背中をさすりながら姿勢を正し、時には練習出来ていない子供の涙を受け止めることもあります。
生徒と先生がピアノを挟んで一対一で向かい合うそのたかだか30分なり1時間なりの時間、たとえ一週間に一度でも音樂を伝えよう受け取ろうとするもの同士とても深い心の交流が生まれることを想像していただけるでしょうか。
ピアノのレッスンは心を開くレッスンでもあります。レッスン室での一ピアノ教師の姿勢が誰にも言えずに一人で抱え込んでいた生徒の様々な問題を解決するキッカケを作り、深刻な状態を乗り越える助けになることもあるのです。
そんな街のピアノ教室における見えざる一側面。具体的な事例を通してお伝えし、皆さんと共に考えたいと思います。
川口 聖加
Seika Kawaguchi
(声楽家、ナーブル音楽企画代表)
【楽しい山梨音楽ライフ】
皆さま、山梨県がどこにあるかご存知でしょうか?「東京から行けば長野の先にあるんだよね」と普通に言われたことがあります。
首都東京の「隣」でありながら2,000m~3,000m級の山々に全方位囲まれ、他県からは忘れられてひっそりと存在している山梨。東京の隣なのに様々な流行が他県より10年遅くやってきます。人口は少ないから当然、演奏会へ足を運ぶ人口など極端に少ない。
しかし目を凝らせば、面白いことができるチャンスがゴロゴロ転がっている。東京へは片道1時間半。東京の隣だからこそ、忘れられている土地だからこそ、可能性は無限大。後は「やるか、やらないか」だけ。
山梨の現状を目の当たりにした結果、「地方にもっと良い音楽会を」をモットーとした「ナーブル音楽企画」を設立。東京では当たり前でも山梨では珍しい内容の演奏会の企画・運営をしてきました。
声楽家の活動の合間をぬって一人でやっているので限界はありますが、ご縁がご縁を呼び、多くの方に支えられながら、チャレンジの毎日です。
山梨に住みながら、いや、むしろ山梨だったからこそ、全く不便を感じずに楽しい音楽ライフが送れている私の活動内容をご紹介します。
漆畑 奈月
Natsuki Urushihata
(コンサートホール職員)
【なぜ(元)吹奏楽部員は、
クラシック音楽ファンに
なりえないのか?!】
世界でも有数の吹奏楽大国となった日本。全日本吹奏楽連盟に加盟している吹奏楽部・吹奏楽団の数は2015年度時点で14,000団体を越え、現在も減少することなく右肩あがりを続けています。2000年代に入るとTVなどへの露出も増え、一般認知度も上昇してきました。
いっぽう、クラシック音楽業界で働いたことのある方だったら、きっと「吹奏楽のひとって、せっかく楽器をやっているはずなのに、どうしてクラシックに興味を持ってくれないんだろう?」と思ったことが、一度はあるのではないでしょうか。
彼らが年に1回でも2回でも、自らコンサートに足を運んでくれるようになったら、これは大きな動員になるはずなのに。でもなぜかクラシック好きと吹奏楽好きとの間には、みえない隔たりのようなものがあるように感じるのです。
吹奏楽に青春をささげ、クラシック音楽に携わる職業についた者として、クラシック側から見た吹奏楽、吹奏楽側から見たクラシック、両者のあいだにある大きくて深い「ミゾ」の正体について、皆様とお話ができればと思っています。
河野 陽介
Yosuke Kawano
(声楽家)
【LGBTから考える
差別や偏見のない未来】
「LGBT」という言葉をご存知でしょうか? レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字を取った略称です。性的少数者、性的マイノリティーとも呼ばれたりします。
「まわりにいないから自分には関係ない」
「今までに出会ったことがない」
「そんなのはテレビの中の話」
本当にそうなのでしょうか?
私が立ち上げた市民団体「多様な性を考える会 にじいろ神栖」は茨城県を中心に、教育機関に携わる方々への講座などを通じ、LGBTへの理解を促す活動を精力的に行っています。
差別や偏見のない社会の実現に向けた、取り組みの一端をご紹介したいと思います。
MC.
飯田有抄
#3 (2016.06.19) Presenters.
小室 敬幸
Takayuki Komuro
(大学助手、フリーランス音楽家)
【いま求められる
「教養としてのクラシック音楽」
からのパラダイムシフト】
クラシック音楽の聴き手が高齢化していることに危機感が抱かれて久しく、新たな聴衆を増やすべく業界内では様々な取り組みがなされています。しかしながら「教養としてのクラシック音楽」という観点で現在の日本クラシック音楽界が抱える課題を検討し直すと聴衆だけでなく、ある役割を果たしてきた「層」も減っているのではないかという仮説が浮かび上がってきます。
この仮説を踏まえた上、「我々がどのように芸術の価値を判断しているのか?」「他の音楽と比べた時、クラシック音楽の特質はどこにあるのか?」について改めて考えることで、これからのクラシック音楽を価値付ける新たな可能性と具体的な実践方法を皆さまと一緒に探りたいと思います。
倉持 欣幸
Yoshiyuki Kuramochi
(団体職員)
【メトロノームと楽しく付き合う方法】
誰しも楽器の練習をするときに鳴らしたことがあるメトロノーム。でも、メトロノームと合わせるのはつまらない、苦痛だ、メトロノームは止めて、自由に弾いた方が音楽がイキイキする、と思っている人は多いのではないでしょうか。その一方、誰しも、メトロノームときちんと合わせて練習しなければいけない、ということは心の底では分かっているはずです。人生においては、往々にして、基礎練習というのは、このようにつまらなくて、苦痛なのです。そこで、今日はそのようなつまらなさ、苦痛を反転させる、とっておきのメトロノーム使用法を紹介します。
高木 雅也
Masaya Takagi
(楽譜出版社 社員)
【モノと時間の整理術〜
迷走する自己流スリム生活】
なにかと時間に追われる現代人。音楽の仕事に携わる自分もまた例外ではありません。刻一刻と押し寄せるタスクの波に呑み込まれ、追い立てられ、振り回され、もがけばもがくほど自分を見失い、くたびれ果てて一日が終わる。そんなしがない会社勤めの日常で、いかに自分らしく(そして他人に迷惑をかけずに)暮らしていくか。その秘訣は、日々の暮らしを少しずつ自分でスリム化し、シンプルに考え、行動していくことなのかもしれません。そうとなれば、まずは身の回りの整理整頓とライフスタイルの見直しです。でも、実際にはどうしたらよいのでしょう。スケジュール管理用には手帳、備忘録はハンディメモ、アイデア整理は大きめノートなど、お気に入りアイテムの選別と使い倒しの工夫あれこれ。ついでに、ダラダラ夜更かしの毎日から朝型生活へのシフト。いっそのこと、自宅のガラクタも整理整頓。果ては、身の回りのスリム化が行き着いた「手ぶら通勤」の困った現実まで。あれこれ試してみたものの、その成果は如何に?!暮らしと仕事のスリム化をめざした平均的サラリーマンによる小さな試行錯誤の連続。その迷走ぶりをこの機会に皆さまと共有できれば幸いです。
駒 久美子
Kumiko Koma
(大学教員、音楽教育研究者)
【知られざるトイピアノの世界】
トイピアノとは、その名の通りおもちゃのピアノです。海外ブランドでは、ドイツ人がアメリカで設立したSchoenhut、フランスのVILAC、Michelsonne、ドイツのGOLDON、イタリアのBontempiなど、形も音色も、作られた国も時代もさまざまなタイプのトイピアノを見ることができます。昨今の日本では可愛らしいグランドピアノ型によるカワイのミニピアノを皆さまも目にしたことがあるのではないでしょうか。でも、ちょっと待って。日本のトイピアノの歴史ってもっと古くからあるのでは?なんて思ったら、探求せずにはいられない。そう!子どものおもちゃだと侮るなかれ。おもちゃだけどおもちゃじゃない、トイピアノ。そんなディープなトイピアノの世界へ、皆さまをご案内いたします。
石本 昌子
Masako Ishimoto
(会社員、アマチュアピアニスト)
【アーユルヴェーダ的
音楽鑑賞のすすめ】
額にごま油を垂らす、独特のマッサージで知っているという人も多いアーユルヴェーダ。古来から伝わるインドの医学です。最近では、ヨガの普及でその知識に触れた人も多いかもしれません。日本では主に予防医学として知られるようになりましたが、医学だけでなく、建築・音楽・占星術等を含む膨大な知識体系から成り立っています。
私は医療の専門家ではありませんが、アーユルヴェーダの世界に惹かれ、色々な本を楽しみながら読んでいるうちに、趣味のクラシック鑑賞に、アーユルヴェーダの知識が知らず知らずのうちに入り込んできてしまいました。あくまで素人の感覚をもとに、アーユルヴェーダから見たクラシック音楽鑑賞について語ってみたいと思います。
三田村 宗剛
Munetaka Mitamura
(三芳町教育委員会生涯学習課)
【芸術文化のまちづくり】
埼玉県の南側に位置する三芳町では、「芸術文化のまちづくり」を推進しています。
芸術文化がまちをつくるのでしょうか?そもそもなぜ芸術文化を政策とする必要があるのでしょうか?
心豊かなまちを目指す三芳町の芸術文化事業を実例に挙げながら、地方公共団体の目指すべき姿をお話しします。
MC.
飯田有抄
#2 (2015.11.29) Presenters.
長井 進之介
Shinnosuke Nagai
(ピアニスト・音楽ライター・音楽学)
【音楽家は究極のサービス業!
—すべてはホスピタリティの
精神から—】
楽しむ、学ぶ、仕事にする—音楽との関わり方は多種多様ですが、音楽を「専門」とする人たちは、どこか難しいことを難しく発信することを美徳とし、受信側をおいてきぼりにしてしまう傾向があるかもしれません。「クラシック=ムズカシイ」というイメージが先行し、演奏家や研究者、そして聴衆の間にギャップができてしまう現実があります。
音楽家は演奏や研究の成果を一方的に投げかけるだけではなく、聞く側、見る側に「感動」してもらわなければ意味がありません。そのためにはどうしたらいいのか…...。ブライダルピアニスト、音楽教室講師などの仕事を通じ、音楽を発信する側として考える、「音楽家のホスピタリティ」についてお話します。
橘 ララら
Larara Tachibana
(エンタテインメント会社音楽・映像商品政策担当)
【 UGC時代に変わる「音楽家」の概念】
AI(アフター・インターネット)の時代、パソコンやタブレット端末といった日常で手軽に使えるテクノロジーが、急速に発展しました。それに伴い、UGC(ユーザー・ジェネレイテッド・コンテンツ)という新たな概念が登場しています。UGCとは、動画サイトYouTubeのようなメディアを通して、利用者によって作られるコンテンツの総称です。このUGCという新たな潮流が、これからの「クラシック」の世界にいる音楽家の活動のあり方や存在そのものに影響を与え、19世紀後半から20世紀にかけて築きあげてきた「主に演奏の質感向上に価値を見出し、ひたすら技術的イノヴェーションをしてきた」時代とは異なった「価値観」が、21世紀において見出され、創造されていくのではないでしょうか。そうした主張・提唱を、音楽を愛する人々と共有します。
林田 直樹
Naoki Hayashida
(音楽ジャーナリスト・評論家)
【 インターネットラジオを始めて思うようになった、コンサートに容易に行かれない人々】
クラシック音楽のインターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」を続けていて感じるのは、コンサートが首都圏中心であり、しかも健康的にも時間的にも経済的にも、ある程度「余裕」のある人たち向けのものであるということです。
インターネットラジオは電波と違い、全国放送です。それどころか国境も簡単に超えられます。海外からの聴取者は驚くほど多岐にわたります。その中で気付いたのは、リスナーの中には病院で聴いている人、寝たきりの人、遠隔地の人、家族の病気など何らかの事情があって外に出られない人が、かなりたくさんいらっしゃるということ。彼らにとってラジオは、新鮮な音楽に接するための大切な手段なのです。
番組でライヴのお知らせをするたびに、いつも心の片隅が痛みます。どんなに素敵なコンサートの告知をしても、彼らはなかなか会場に足を運ぶことができないことを知っているから――。けれど、生の音楽をいちばん必要としているのは、そんな少数の弱者ではないでしょうか。この問題について、一緒に考えていきたいと思います。
財津 由美
Yumi Zaitsu
(学童付きおけいこ教室経営・ピアニスト)
【子どもの時間】
2児の子育てを通して感じた「あったらいいな」を実現するために、2012年に「お稽古もできる学童保育 スリードロップス」を立ち上げました。子どもは大きな可能性を持ち、また吸収力も非常に高いので、子ども時代の時間の使い方が、その後の人生を大きく左右します。だからこそ、無為に時間を浪費するのではなく、幅広い体験やお稽古を通して、頭の使い方、心の働かせ方、マナーを身につけることが大切です。また、時間に余裕のあるこの時期は、早計な結果主義に走るのではなく、色々なことをゆっくり考える事が肝要です。
子どもの時間がなぜ大切なのか、真に価値ある時間の使い方とは何かを、実際にあった子ども達の具体例を交えてお話しします。
高橋 佳代子
Kayoko Takahaxhi
(栄養士・社員食堂ディレクター・Tumblrエヴァンジェリスト)
【からだが喜ぶごはんと
わたしたちの呼吸】
人の体は8年間で脳と心臓以外の細胞は全て入れ替わると言われています。
その入れ替えの材料は「食品から摂る栄養素」です。
「からがが喜ぶごはん」ってどんなごはん?
栄養学の知識がなくても「よいごはん」と出会えれば力がわき、呼吸が深くなります。
「からだがよろこぶよいごはん」を考えることをとおして自分の感覚とつながることをお話しします。
菅野 恵理子
Eriko Sugano
(音楽ジャーナリスト)
【リベラルアーツとしての
音楽がある社会】
今年行われた主要な国際ピアノコンクールでは、北米・カナダ出身ピアニストの躍進が目立ちました(チャイコフスキーコンクール2位、ショパンコンクール2位~5位)。彼らはほぼアジア系であり、西欧で生まれた音楽を学ぶという構図そのものは、日本と変わりません。
しかし「学び方が上手」という印象がたしかにありました。その背景には、音楽を専門的に学ぶだけではなく、広くリベラルアーツとして学ぶ土壌があるでしょう。
リベラルアーツとしての音楽は、音楽を様々な方向から学ぶことを可能にします。世界を知る、歴史を学ぶ、創造力を高める、思考法を鍛える、他人や他国を知る、等々。音楽の触れ方が多様になれば、音楽に触れる人の輪も広がり、その中から新しいタイプの音楽家も生まれます。
リベラルアーツとしての音楽がある社会、その未来について考える機会になればと思います。
MC.
飯田有抄
#1 (2015.05.24) Presenters.
池田麻里奈
(不妊カウンセラー)
【乳児院の現状と
私たちにできること】
ますこ しょうこ
(ピアノ講師・音楽教育家)
【音楽は本当に人を幸せにしますか?〜街のピアノ講師の挑戦〜】
オヤマダ アツシ
(音楽ライター)
【バイエルのCDが
僕に教えてくれた
こと】
河本美和子
(会社員)
【切っても切れない
深い縁
〜わたしとピアノ、
そして母との
過去・現在・未来〜】
福田成康
(経営者)
【音楽を仕事にする
〜「お金を払う」が
「本気の証」〜】
前田明子
(音楽ホール職員)
【邪道流☆音楽の
ススメ】
(C)ノザワヒロミチ
藤本優子
(通訳・翻訳)
【通訳というペルナ
〜音楽通訳者の日常〜】
MC.
飯田有抄
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